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うつろいたる菊 現代語訳

蜻蛉日記「うつろひたる菊・町の小路の女」原文と現代語訳・解説・問... ふうてん老人日記: 2005年8月

うつろいたる菊 現代語訳

蜻蛉日記「うつろひたる菊」の解説. 蜻蛉日記でも有名な、「うつろひたる菊」について解説していきます。 「うつろひたる菊」の原文. さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもと遣(や)らむとしける文 ... 2005年8月に作成された記事 2005/08/25 8月25日 週刊(ふうてん老人日記)休刊につき篇 都合により8月28日号を休刊します。 次週、9月4日号からは通常通りの予定です。 おわびとして、2、3この頃の写真を。 コナラのドングリはもう中学生 久しぶりに国立技工さんへ寄った (そのうちビデオも載っけます) 国立技工カンバン、決して美しくは・・・・ お兄さんとレストアなったスカイライン2000GT-R ふうてんの持ち込んだ柄の壊れたフライパンを前に評定する三人 技工さんの事務所から見たロシナンテ | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0) 2005/08/22 8月21日 留学生たちの夏休み篇 お盆も終わって、心なしか町は静かになったようだ。

蜻蛉日記『嘆きつつひとり寝る夜・うつろひたる菊』 現代語訳 - 勉強... 【時習26回3−7の会0599】〜「松尾芭蕉『笈の小文』第13回【吉野山・高野山・和歌浦】【旅賦】」「05月01日:静岡県立美術館『東西の風景』展を見て」: 時習26回3-7の会

うつろいたる菊 現代語訳

蜻蛉日記(かげろうにっき) 作者:藤原道綱母(ふぢわらのみちつなのはは) 「黒=原文」・「青=現代語訳」 解説・品詞分解はこちら蜻蛉日記『嘆きつつひとり寝る夜・うつろひたる菊』解説・品詞分解問題はこちら蜻蛉日記『嘆きつつひとり寝る夜・うつろひたる菊』問題1 さて、九月 ... 我が家ではお盆といっても、線香の匂いもしなかったし、ロウソクのゆらぎも見えなかった。 ただ鳴き続ける蝉の声の感じが変わってきたことと、風が少しだけ涼しくなってきたことに季節のうつろいを感じるばかりである。 子供のころの記憶では、お盆にはボンボリのようなものにロウソクを灯していたし、お坊さんに来て貰ってお経をあげて貰っていたような気がする。 お寺もすぐ近くだし、お墓も家から見えるところにあるし、村の住人は知っている人たちばかりだし、親類縁者も、稀な例外を除いて、殆ど近隣に住んでいた。 確かにお盆になって先祖の霊が、みんなどうしているんだい?と見回りに来ても不思議ではない雰囲気があった。 それから半世紀ばかりたって、家族が全国に散らばり、どの家もそういう風になった今、先祖たちはお盆に帰ってみようとしても、一体どこへ帰ればいいのだろうか。 全国を回らねばならないし、下手したらアメリカやらヨーロッパへも行かねばならぬ。 先祖たちが過ごした地へ舞い降りてみたところで、だ~れも縁者がいない。 出身地は? ハイ、地球です。 てなことになりはしませんかねえ。 お盆だからという訳じゃないけど、留学生たちの(大学院進学お祝いの会)をやったので少し報告しておこう。 彼女たちは今夏休みで、普段の学校生活とは違う忙しさの中にいるようだった。 久しぶりに三人がそろった ホスト・ファミリーとして付き合っているアリアさんとランちゃんのことは日記によく出てくる。 もう一人、ランちゃんと同じ瀋陽出身のショウさんも、来てくれた。 アリアさん経済学部、ランちゃん社会学部、ショウさん商学部である。 三人とも大学院修士過程への進学が決まったのでお祝いをすることになった。 早いもので、連中が大学にはいってもう3年半が過ぎた。 ホスト・ファミリーというのは留学して間もない頃の心細さをサポートするためのシステムである。 どう見たって連中、もはや日本での生活が(心細い)という顔はしていない。 しかし、間もなく学部を卒業し、社会へ一歩近づく時期であり、今度は社会へ出る(心細さ)が待ち受けている。 そういう意味では話題は尽きないことになる。 ランちゃんの夏休み 今年の夏休みは中国へ帰らず日本をもっと知りたいという。 源氏物語を読みたいという相談を受けた。 彼女は物語が好きで、古いのやら新しいのやら、小説に目がない(勿論中国の)。 しかし、源氏物語? 日本人であるコチラだって、そんなもの、まともに読んだことがない。 原文を読んだって分かるはずがないし、現代語訳を読んでもかなり分からない言葉ばかりだろうし、ましてや中国の人が読もうとしても・・・・・。 ここで引き下がるのも情けない。 ふうてん自身が(源氏物語)を深く知るいいチャンスではないかと考えた。 今までにも、ランちゃんが日本のいい小説を教えて下さいというので漱石を始め、何人かの小説を文庫本で買い、彼女に渡す前に数十年ぶりに読み直してビックラこいたりしていたのである。 同じ小説、同じ映画でも数十年ぶりに読み直し、見直すと、別物のようになることがある。 第一、源氏物語は読み直すのではなく、これから読むのである、当方にとっても。 そこで、これまで源氏物語について知った限りのエッセンスをランちゃんに伝えることにした。 一冊目は大野晋の(源氏物語)である。 二冊目は大野晋と丸谷才一の源氏物語対談集である。 あとは谷崎潤一郎の現代語訳(文庫本五冊)である。 大野晋の説は彼女にも分かったらしい。 非常に面白かったという。 平安時代の日本の貴族社会がどういうものだったのか、当時の婚姻制度がどういうものだったのか、紫式部がどういう女性でどういう身分で社会でどういう存在だったのか、などなど。 しかし、いざ物語本文、谷崎潤一郎訳の本文にとりかかると・・・・難しい。 分からない言葉ばかりである。 いくら(現代語訳)をしてみたところで、現代には生きていない言葉の意味を知ることはとても難しい。 そういうことは分かったのだけど、まだ諦めてはいません、とランちゃんは言った。 源氏物語ばかりではない。 NHKのラジオ出演(インターネット・ラジオ)のバイトやお台場の花火見物や愛知万博や、休む暇がないようだった。 お祝いの会に来たときも、二日酔いだとかで殆ど居眠り状態だった。 ショウさんの夏休み 商学部のショウさんは5年間で学部と修士を終える作戦に出たようだった。 従って、かなりハードな毎日となる。 夏休みなのに、インターンとか称して、赤坂方面のある企業へ週2日くらい行っている。 悩みは、スーツ着用、であるらしい。 このクソ暑い夏に、小泉首相もネクタイ外しているのに、何故かラフな格好は許されていない。 そう言えば毎年4月から夏にかけて黒いスーツ姿の若い女の子が電車でも目立つ。 あれは一体何なのでありましょうや? ショウさんの話を聴いて、なるほどそうだったのかと一端を知った。 仕事の中身よりも、まず形を押しつけるのですね。 アホな話やけどなあ、そんなん。 アリアさんの夏休み 三人の中ではタイ出身のアリアさんが一番大人で国際的かもしれない。 タイはインドの影響が強いので、自然、英語にも興味が深く、ロンドンへ語学留学したりしている。 お母さんもお父さんも中国系で、兄弟(お姉さんたちやお兄さん)は中国人みたいな顔をしているのだけど、中では彼女が一番(タイ人)風な骨相かもわからない。 お酒も強いのだけど、今回はもういいですという。 また勉強?と聴くと、明日は(富士山に登る)のですという。 今度が二度目で、去年だか初めて登ったとき、(ご来光)を見て感動したという。 源氏物語も読んだことないし、富士山の5合目よか上に登ったこともない。 留学生たちの方がよほど(日本)を知ろうとしている。 アリアさんのお姉さんたちはタイで医者をしているらしく、レーザを使った近視の手術機械が持ち運び可能で、お姉さんの一人が別のお姉さんに手術をやって貰って、事後も順調だとか、お兄さんは中国人そのものの顔をしているのだけど今北京に住んでいるとか、お母さんは何を思ったのか去年ベトナムのホーチミン市に(タイ料理)の店を出したとか、あくまでもほがらかで明るい。 彼女に言わせるとタイは暖かい国なのでみんな(考える)ということをしない。 深刻な顔をして、悩む、という風習はタイには馴染まない、という。 小さな窓 夜の10時が過ぎて、彼女たちを見送ったあと、女房が(ダンナさんが言ってたけど、外国人でも、付き合ってみたら同じ人間なのね)と言った。 外国へ行ったこともないし、外国人と付き合ったこともない女房にとって、このホスト・ファミリーの夕食会は(外国に開かれた小さな窓)なのかもしれない。 (ふうてんアーカイブス) 2005 夏 留学生たちのお祝い会 アリアさんと嫁はん ジェームス・ディーンとポルシェ・スパイダー ショウさんとランちゃん 乾杯 ショウさん アリアさん ランちゃん つまみをつくる人 タバコをすう人 アリアさんが離さない写真たち タイの女学生 アリアさんとインドネシアン・ファン | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0) 2005/08/15 8月14日 (繁寿し)再開につき篇 世の中お盆休みにはいったらしい。

『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」の現代語訳と重要な品詞の解説1 国... 【時習26回3-7の会0568】~「『奥の細道』第19回‥【敦賀】【色の浜(=種の濱)】」「09月19~22日:四国旅行『4つの重文天主閣を含む6つの城〔松山城&丸亀城〕と4つの美術館〔「丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館/常設展」「東山魁夷せとうち美術館『美を求める心/東山魁夷を読む』展」〕他を巡って〔その2〕』」「09月26日:京都市美術館『マグリット』展&『再興 第100回 院展』展を見て〔その1〕」: 時習26回3-7の会

うつろいたる菊 現代語訳

平安時代中期の日記『蜻蛉日記』の「うつろひたる菊」の現代語訳と重要な箇所の品詞分解を解説しています。「九月 ... 先週のある日、今夜は一杯見るテレビがある、お盆休みにしようと女房が言った。 毎日が休みなんだけどね、と言うと、みんなお休みよね、という安心感が違うのよ、とか。 やはり先週のある日繁さんから電話があって、店を再開したという。 今回の休みは一番長くて3週間になるだろうか。 夕刻、ロシナンテのホコリを払って、久しぶりにエンジンをかけて繁寿しへ出向いた。 ロシナンテの運転席には蜘蛛の巣が張っていて、ゴメンネと断ってから取っ払った。 解散総選挙 繁さんが休んでいる間に、衆議院が解散し、9・11選挙が決まった。 小泉首相の功績は(劇場型政治)を定着させたことではなかろうか。 ともかく毎日のように政治家たちの一挙手一投足がテレビで報じられるようになった。 ふうてんの記憶では、小泉さんと田中真紀子さんのコンビがこれを作ったと思う。 凡百の番組よりはるかに面白いのである。 こういう(劇場型政治)というシロモノは世界でも珍しいのではなかろうか。 ちょうど8月15日の終戦記念日の前でもあり、小泉さんは郵政改革選挙だと言っているけれど、テレビでは靖国神社の特集もいろいろ報じられている。 小泉政権の(郵政)と(靖国)が問われる選挙になるのではないだろうか。 靖国問題は明治維新後の日本を見つめる問題でもある。 日本の(国家神道)が問われる問題であるように思える。 明治維新期あれほど世界のことを気にした日本人が今世界を見ようとしない。 それがふうてんにはちょっと不安であるし、不満でもある。 帰って来た繁さん 繁さんは元気そうだった。 しかし、まだ足は痛むようでもあった。 待ちかねていたように、山口夫人と豊田さんがカウンター席にいた。 夫人からは河出書房新社から出版された(山口瞳 会社の渡世)という本をいただいた。 (いつもすみませんねえ) (差し上げようと思って買ってきたのよ) (え?買ったんですか?僕が買いますのに) (新刊が出ると、本屋さんでサクラになって買うのよね、この本売れてる?とか聴いたりしてね) (はぁ~) (正介なんかこの本5冊も買った、言ってたわ) 以前は送られる本に山口瞳さんのサインがはいっていた。

蜻蛉日記 「うつろひたる菊」解説 文LABO

うつろいたる菊 現代語訳

蜻蛉日記「うつろひたる菊」解説。(教科書によっては、「嘆きつつ」というタイトルがついている場合もあります。)作者は藤原道綱の母、という名前が残っていない女性なのですが、日本史上、初の女性の手による日記文学であり、平安期を代表する女流文学の一 今、そのサインはない。 今年、没後10周年の催しが国立で行われるという。 繁さんはよく喋った とかくするうち、客が我々4人しかいないこともあって、繁さんが女房の隣(後ろ)に座って話し始めた。 今回は繁さんとしても今までで一番つらい目にあったと言う。 どうも10日ほど入院したらしい。 入院中、喋る相手がいなかったとみえて、この日繁さんはよくしゃべった。 足が痛くなる原因は、明らかに(職業病)なのですね。 まず休むということが少ない。 今サラリーマンは週休二日が当たり前になっているけれど、繁寿しの休みは月曜のみ。 夏休みも春休みも冬休みもおぼつかない(ほとんどない)。 お盆に3日ほど、正月に5日ほどだけである。 朝早く起きて、始発電車で築地まで買い出しに行く。 買った魚介類を担いで帰る。 ウロコを払って、サバイて、仕込みに時間をかける。 店を開けてからは立ちっぱなしである。 立ちっぱなしだと血が足の下の方にたまって・・・・。 の繰り返し。 足にいいはずがない。 繁さんは足を見せ、治療処置の具合を見せながら、いろいろと話した。 医者からは、仕事を休みなさい、歩いちゃダメ、重たいものを持っちゃダメ、と言われるのですけど、その3つともボクは守れないんですよねえ・・・・。 と繁さん笑っている。 話しているうちに、繁さんの女房どのの、苦労話も聴いてみたくなった。 亭主元気で外がいい 店にはいった時、ふうてんは繁さんの女房どのが少しフックラとして綺麗だなと思った。 3週間ぶりなので、それ以前との違いを敏感に感じるだけのことかもしれない。 次の客がはいってきて、話題は繁さんの(闘病記)の観を呈していたのだけど、ふうてんは奥方の意見を聴いてみたかった。 本当のところは、彼女の意見を聴くまでもなく、彼女の顔に書いていたのである。 彼女の意見を聴く前に、我々夫婦の会話となった。 (今度松山にダンナさんが帰って4日くらい食事を作らなくていいとなると楽しいのよね) (・・・?) (その間はクンと二人で、好きなものを、スーパーから買ってきてもいいし、デパチカで買って来てもいいし、別にいつもダンナさんの為に大した料理作る訳じゃないけど・・・その4日間は絶対料理なんて作らなくていいと思うとすごいリクリエーションになるのよね) (ダンナがいない方が気が楽である、と?) ・・・・・・・。 そこまで話し合って、あらためて、繁さんの女房どのの顔を見た。 まことにふくよかな、若いころに戻ったような美しい風情である。 (嫁さん、聴かなくても僕は顔見ただけで分かるけど一応聴いてみる?) ということで、彼女の陳述を聴くに及んだ。 網走から来た女房どの 繁さんの女房どのは網走の出身である。 若い時、何を間違ったのか東京の西、国立方面で繁さんに拉致され結婚した。 当時繁さんは髪をオールバックにし、ハーレー・ダビッドソンに打ちまたがり、多摩地区でブイブイ言わせていたそうな。 (繁寿し)へ初めてはいった時、彼女はお茶を持ってきたり、注文を聴いたりしていた。 我々は、当然のように(娘さんですか?)と聴いた。 どう見てもそういう風に見えたからである。 2秒くらいたって、いえ女房です、と繁さんが答えた。 それはもう25年くらい前になる。 繁さんが入院して、一人になって、さて晩飯に向かう時、時間もいままでの10時すぎではない。 6時でも7時でも食べることができる。 しかし、どうも慣れない時間には食べる気がしない。 テレビを見る。 7時から9時までは普段見ることはなかった。 この時間帯、見てみたのだけど、全くつまらない。 お客の話を聴いていた方がよほど幸せだったと思います、と彼女はいう。 結婚してから繁さんの弟、両親とずっと一緒だった。 弟君が結婚して別居し、両親がなくなって、夫婦だけとなった。 その連れ合いが10日間入院した。 彼女にとっては初めての(独り暮らし)だったのである。 彼女の陳述を聴いたあと、女房に言った。 (分かったろ、顔に書いているよ) (そ~お?私は聴くまで分からなかった) (亭主元気で外がいい、そういうこっちゃろね、繁さんも命に別条はないんやから) ところで繁さん、入院生活どうでした? 実は2、3カ月前にも繁さんは(入院するかもしれません)と言って我々を驚かした。 その時は、1日入院しただけで逃げ帰ってきた。 今回はどうして10日間ももったのだろうか? いやあ看護婦さんていうのは大変な仕事ですねえ、と言う。 給料を聴いて、こんな大変な仕事ならもっと貰うべきだと彼女たちに言ったという。 (ところで別嬪さんいました?) と、ふうてんは、何の意図もなく、礼儀として繁さんに聴いた。 (そうなんですよ、美人がいましてね、今どきのタレントというのかなあ・・・) と、予想通りの答えが帰って来た。 (今回は、お医者さんはどう言ってるの?) (これは直らないなあ、言うので、回りで聴いていたやつが、医者に直らないなあ言われたら患者としてはどうすればいいのよ、ねえ、言いましてね) (そうお、それでその美人の看護婦さんはどうしたのよ?) と、ふうてんは奥方や女房に聴こえるような大きな声で言った。 繁さんの足は今までになかったような重症だと思える。 そうなのではあるのだけれど、近くの総合病院に繁さんお好みの、今どきの若いタレント風の看護婦さんがいて優しく対応してくれるそうなので、少し安心して、熱燗を1~2本沢山飲んで、ロシナンテに一鞭くれて帰宅した。 コーヒーを飲もうと寄った邪宗門には(14~16休みます)と盆休み宣言がしてあった。 | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0) 2005/08/08 8月7日 猛暑になった篇 予想通り東京も猛暑に襲われるようになった。

蜻蛉日記「町小路の女/うつろひたる菊」 現代語訳

うつろいたる菊 現代語訳

蜻蛉日記「町小路の女/うつろひたる菊」 現代語訳 九月ごろになって、(兼家様が)外出したときに、文箱が置いてあるのを、手なぐさみに開けて見ると、よその女のもとに送ろうとした手紙が入っている。驚きあきれて、せめて確かに見たよとだけでも ... この2、3日は35°Cとも37°Cとも言われる。 下手をするとコチラの体温より高くなるというのだから堪らない。 蒙古襲来ならぬ猛暑到来である。 こういう季節、諸氏はどのように暑さを凌いでおられるのであろうか? 当方などは芸がなくて、ただエアコンに頼り、日中の暑い時には外に出ないようにし、冷えたビールと一日何回かのシャワーで一時の平穏を求めるばかりである。 今日は繁寿司がまだ再開しないので放浪するしかない。 久しぶりに信川円さんのウナギでもいいよと珍しく女房が言う。 夕刻、念の為に電話すると、もう今日は終わりましたスミマセンねという。 今年は日本の養殖ウナギが大ピンチだとニュースで言っていたのは本当のようだ。 ウナギを諦めて(蕎麦芳 そばよし)にする。 お新香、揚げ出し豆腐、湯豆腐、天ざるなどをビールと菊正宗でやる。 悪くない。 5歳違いの手下ども ふうてんには長年付き合っている5歳下、10歳下、15歳下と、ちょうど5歳づつ違う同僚がいる。 同僚というより(かっての手下ども)と言った方が合っているかもしれない。 この三人とは今でも事務所が一緒だし、仕事は別々だけれど、アレコレ無駄話をしたり、たまに飲みに行ったりする。 先週、事務所の移転完了を口実に、連中と一献傾ける事になった。 連中はまだ現役だから最新のオモロイ話も聴けるのである。 ハードディスクとお化粧の関係とは? 中の一人はファイルを担当している。 CDから始まった光ファイルは今、何が何やら分からないくらい種類が増えた。 DVD、DVD-R、DVD+RW、DVD-RW、DVD-RAMなどなど訳が分からない。 メディア(つまりお皿)にこれだけ種類があって、それを読んだり書き込んだりするドライブがまたいろんな種類がある。 全くユーザには大きな迷惑であって、戸惑うしかない。 最近ドライブの方はようやく(スーパーマルチ)というのが登場して、何でも来い、という強い味方が出来た。 実はふうてんも最近それに替えて、ストレスよサヨウナラとなっている。 (ブルーレイがどうのこうのについてはキレそうになるので考えたくない) その彼が、やはりハードディスクの障害が一番多いという。 ハードディスクというのは普通はユーザさんの目に触れないので皆さん意識することはないけれど、実はこの装置の中にも小さな円盤(お皿)が入っていて超高速で回転している。 今はやりのiPODの中でもブンブンうなりを上げてモーターが回っているのである。 小さな空間のなかで円盤を猛スピードで回すには空気は邪魔であって、殆ど真空に近い環境が必要となる。 一かけらの目に見えないゴミがあってもいけない。 そのゴミの大きさたるや、もはやナノメートルの世界だという。 ナノとは10の9乗分の一、という、もうどうでもいいような大きさである。 ある障害を追っかけていた時、円盤に、本来付いているはずのないマグネシュームの成分が検出された。 円盤を扱う工場では(クリーンルーム)と言って、エアシャワーなどで完全に人間の衣服などのゴミをなくした場所で作業が行われる。 どうしてマグネシュームが混入したのだろう? たどっていくうちに原因が判明した。 作業をする人は殆どが女性なのである。 女性は(お化粧)をするのでありました。 ・・・・。 その工場では以後、お化粧をして仕事をする事は(禁止)となってしまった。 お嬢さん方、まことにご苦労さまです。 地上波デジタルテレビ ファイル装置がややこしくなったのと同じように今テレビがややこしい。 テレビだけでもややこしいのにパソコンがテレビ機能を持ってきたのでもっとややこしいことになった。 15歳年下の後輩は今そのテレビを担当している。 最近はテレビもどんどんアナログからデジタルにシフトしつつある。 2010年くらいには全てデジタルになるらしい。 デジタルになると本来、パソコンとの相性はいいことになる。 そこで今年当たりから地上波デジタルテレビを標準実装したモデルも登場している。 おかげでこの後輩は、今日は東に明日は西にと、東奔西走することになった。 この飲み会の翌朝も熊本の方へ飛ばねばならないという。 テレビの難しさは何といっても電波を受信することにある。 アンテナがこれまた各種あり、地上波アナログ、デジタル、衛星アナログ、デジタル、共同アンテナ、ケーブル、全くきりがない。 しかも悪い事に地方、地方で様々な事情がある。 ふうてんなどの経験でもある時ある地方に集中して障害が起こったことがあった。 聴いてみれば、その年その地方で記録的な(落雷)が続いたという。 男はつらいよ、第一作 NHKのBS2で寅さんシリーズ全48作を放映する事になった。 第一作目が土曜日にあった。 映画館では一本も見た事はないのだけどテレビやビデオでチラチラと見てきた。 45歳くらいまでは見る気もしなかったのだけど、だんだんとその良さが分かるようになってきた。 中で、この第一作目は特によく出来ていると思う。 1969年(昭和44年)の作品で、もう36年も前になる。 この年は、日本では70年安保の学生運動がピークに達したときで、東大の安田講堂の攻防戦がテレビで報じられた。 アメリカではアポロ11号の月面着陸が成功し、それもテレビでリアル・タイムに全世界で放映された。 そんな、多少ザワザワとしていた時代に山田監督は、時間が止まったかのような世界を一生懸命作っていたのである。 この年はJOさんやふうてんが学生稼業に見切りをつけて社会に出た年でもある。 松竹の小津組で鍛えられていた山田監督のシナリオと渥美清に尽きると思う。 特にこの第一作はこの二人が思いのたけを出し切った感が強い。 以後に続く47作の殆どの要素がこの第一作に盛り込まれているのである。 1時間35分ほどのこの映画の中に無駄な時間は全くない。 そういう山田監督の作った舞台の中で、出ずっぱりの渥美清の(口跡)が冴え渡る。 あのシャベリは本当に凄いと思う。 フーテンの寅。 瘋癲→ふうてん→フーテン 表記が変わるにつれ、意味合いも谷崎翁の世界とは変わってきたようだ。 この第一作の中で、寅さん失恋の第一回目が描かれており、それは御前様の娘さんが初代マドンナでその出会いが東大寺の二月堂であり、大仏殿や奈良ホテルもチラッと出てくる。 そこでアーカイブスは奈良の古いビデオにした。 (ふうてんアーカイブス) 1992 冬 奈良ホテルと東大寺 廊下はホテルの顔です ホテルの庭も悪くない ホテル階段 ギシギシきしみます あれは若草山? 雨の東大寺前庭 傘をさしたピープル | 固定リンク | コメント (18) | トラックバック (0) 2005/08/01 7月31日 常なるものはないのだろうか篇 梅雨が明けて、台風が過ぎ去って、少しだけムシムシ感が減った。

『蜻蛉日記』うつろひたる菊 現代語訳 藤原の道綱の母作 おもしろい よくわかる古文 ...

うつろいたる菊 現代語訳

『蜻蛉日記』うつろひたる菊 の超現代語訳. 9月になって、ある日、 兼家 が出掛けたから、ずっと気になってた手紙を入れてあるお箱を何気なしにね、あくまでも何気なしなんだけど、開けてみたら、案の定他の女に宛ての手紙があったの。 一昨日あたりから待ちかねていたように蝉が鳴き始めた。 また酷暑が来るのだろうと憂鬱ではあるけれど、空梅雨気味のあの蒸し暑さと比べるとカンカン照りの方がまだマシである。 繁寿司がまだ再開しないので日曜日のような気がしない。 日曜日が来ないと一週間が過ぎないので、リズムが刻めなくて困ることになる。 この老人日記も大抵は繁さんから帰って書くのが習慣なので、なかなか書き出せないでいる。 夕刻、チャリで大学通りの方を流してみた。 (Cafe CHANG)が土、日だけ再開したのでチンタオ・ビールを飲む。 そのまま邪宗門でコーヒーを飲んで、普段の日曜日を取り戻そうという魂胆だったのだけど、やはりビールのあとすぐにコーヒーを飲む気分にはなれなかった。 書簡集まで行って、ウィスキーを飲んだ。 書簡集マスターと無駄口をたたくことで何とか一週間に、句読点を打てたような気分になった。 この二週間ほどのうちに、ふうてんの身辺に様々な異変が起こった。 白内障疑惑、ギックリ腰再発から始まり、台風襲来、東京湾の地震、などなど。 少しその(異変)を報告しておこう。 神楽坂の山田塾 月一で鎌倉大明神主催の(塾)がある。 山田先生という先輩を囲んでの一種の勉強会であり放談会なのである。 今回は少し遅れてたどり着くと、はいるなり鎌倉さんが、 (もう腰大丈夫なんですか?) と言った。 機先を制せられた形で、 (ええまあ、何とか、これもクセなんですかねえ、今回も思いがけずね・・・) と応じると、すぐさまいろんな質問が飛んでくる。 (どうしたんです?重たいものでも持ったんですか?どのような姿勢で?) ・・・・・。 (いえね、今回は豚鍋の中のとうふが悪いんです) (とうふ?) (鍋をやった時にですね、暑いものだから鍋をちょっと離して置いたんです。そのとうふの奴がですね、鍋の向こうに隠れていやがった。お前出て来いよと背伸びして覗き込んだのですね。その時、腰にピシッと来たわけでして) と、思わず今回の、人に言いたくなかった原因白状に及んだ。 山田先生は、 (悪いことは言わんから、朝早く起きて、近くを一回り歩きなさい、酒ばかり喰らってロクでもない頭デッカチの議論ばかりしてたんじゃあ、長生き出来ませんよ)と諭された。 留学生たちも卒業間近 ホストファミリーをやっているアリアさんランちゃんたちにも変化の時が訪れたようだ。 大学4年になって彼女たちも忙しくなった。 就職するのか大学院へ進むのか。 アリアさんはタイからの国費留学生だから院までは進むことを前から決めていた。 タイの国費留学生は卒業後、国の仕事に着くことが義務づけられているという。 経済学部のアリアさんは当初から今のゼミのコースで修士課程まで行くと決めていた。 一方のランちゃんは社会学部で私費留学生だからそれほど定まったコースというものはない。 自由である代わりに、何の保証もない。 変転めまぐるしい中国である。 結局、二人とも推薦入学という形で大学院への進学が決まったと言ってきた。 アリアさんは今の大学のまま、ランちゃんは都心の方の学校だという。 8月の夕食会は(お祝い会)にしようと話は決まった。 ふうてんには娘はいない。 この二人を見ていると、改めて、娘がいなくて良かったなあと思う。 偏見なのだろうけど、女の人の一生は、ハラハラドキドキものだと思う。 ふうてんに、もし娘なぞいた日には心配で心配で酒量が増したに違いない。 お隣が引っ越した 今のところに引っ越してきて丸9年になる。 東西南北の4軒のうち既に2軒は代替わりしたり家を建て直したりした。 最近、まさかと思っていた西側のお家が引っ越すことになった。 聴けば、子育ても終わって、家が大きすぎて面倒見切れないので近くの高層マンションに引っ越すという。 ご主人は長年勤務医を努めたお医者さんで、ふうてんなどもここへ来る前、保険にはいる為の健康診断をお願いしたこともあった。 2、3年前から先生自身健康がすぐれず現役は引退している。 奥さんも愉快な方で、女房が一番親しくしていた方なので我が家にとっては残念な話となった。 最後の日、たまたま片付けに来ていたご夫妻に挨拶をすることが出来た。 (片付いてないのですけど、一度お上がりになって見て下さい) (そうですか、お隣同士だったけど、家に上がり込むことはしませんでしたね) と、女房と一緒にお邪魔した。 向こう三軒両隣、めったに呼んだり呼ばれたりしないのが東京周辺なのである。 (ははあ、ここから見ると随分景色が違うものですねえ) と広い広いベランダ(というより屋上)へ出て眺める。 (先生、ここへ住まわれて何年になります?) (30年ですねえ) (ハ~ッ、30年ですか、短くはないですね) (ここにずっと住もうと思っておったのですが歳とると面倒でしてねえ) (家の中、庭、手間かかりますわねえ) ・・・・・。 (しかし、それにしてもここからだと眺望はよろしいですね) (そうなんですよ・・・・今度のとこも眺望だけはよろしいんです) (あそこだと富士山がよく見えるでしょう) (14階建ての8階だから冬など富士山が綺麗に見えるようです) (一度、富士山を見物にお邪魔しますよ、先生) このお隣とそのまたお隣を合わせて300坪の土地に9軒の建て売り住宅が出来るらしい。 その造成と建築が8月から始まり半年ほど続くようである。 タバコ屋の若内儀が亡くなった 変転するのがこの世の常、とは分かっている積りである。 しかし先週の月曜日、チャイニーズ・レッスンでいつものタバコ屋を通り掛かった時には驚いた。 シャッターが降りていて張り紙がしてあった。 誰かが亡くなったらしい。 この店は25年前国立へ来た当初からあるタバコ専門店である。 キャメルの両切りをよく買った。 細い葉巻を箱詰めしたのもちょくちょく買っていた。 この店には三姉妹がいた。 三姉妹のうちの、どなたかなのだろうとは思ったけど特定出来なかった。 一番下の、独身の妹御には数日前に会ったばかりである。 一週間たって今日寄ってみて、長女である人だったことが分かった。 近くで酒とタバコを売る店を夫婦でやっていた、三姉妹の長女の方である。 52歳だという。 お子さんは二人いて長男のボクはふうてんちのガキと同級生である。 あと、おそらく高校生くらいの妹さんがいる。 夫婦で子育てをし、一緒に店を切り盛りしていた主婦が急にいなくなる。 (家族で力合わせてやっていくしかないですよ) と妹御は明るく装おうとしていた。 どうも今回はしんみりした話になってしまった。