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チープトリック 曲

Cheap Trick(チープ・トリック)の名曲、代表曲ならこの10曲を聴け - NAVER... 第1回『チープ・トリック at 武道館』 野中規雄インタビュー[前編] | 連載「日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN」 | otonano by Sony Music Direct (Japan) Inc.

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Cheap Trick(チープ・トリック)の入門編として聴いておきたい名曲、代表曲10曲(1~10)を紹介します. 更新日: 2016年01月18日 う~ん、何か一気に「秋」らしい雰囲気になって来ました。さてさて。すみません・・・ブログに書く“普通”のネタがないので、私が好きな曲を挙げてお茶を濁します。(汗)今回取り上げるのは...「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ/Everything Works If You Let It」大好きなバンド、チープ・トリック/CHEAP TRICKの曲です!「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」という邦題だけ見れば、あのレッド・ツェッペリンのファーストアルバムの記念すべき1曲目に同名異曲がありますが、個人的にどちらも好きです。(でも、昔の邦題は「グッド・タイムス・バッド・タイムス」だった気がするのだけど・・・まっ、いいか)この曲のお気に入りの理由は、ロック色が強くて、ハードなギター&ベースと、それに絡むボーカルがとにかくカッコいいからです!とにかく曲の疾走感!かつ、何度もEverything Works If You Let It~とシャウトするロビン・ザンダー、カッコいいです!ただし・・・チープ・トリックの、どのオリジナルアルバムにも収録されてないという楽曲。確か、20年ぐらい前に出たベスト盤にも、どうしたわけか?(ヒット曲じゃないからか)この曲は収録されていませんでした。そのため、21世紀に入ってから、たまたまチープ・トリックを思い出して、この「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」が収録されているCDがないか、CD店で探したら・・・輸入盤の中に、何とこの曲が収録されているベスト盤を発見!!正に、宝物を見つけたような衝撃!大感激ですよ!(宝物を見つけた経験はありませんが・笑)勿論、そのベスト盤を購入したのは言うまでもありません。最近は、アルバム『ALL SHOOK UP』に、ボートラとして収録されているみたいですね。(シングル・ヴァージョンが)この輸入盤のベスト盤収録のこの曲を聴いて、2つばかり発見がありました。まあ、大した発見ではないのですが・・・。(苦笑)①私が持っていたカセットテープ(エアチェック)音源のやつは、いきなりハードな演奏で始まるものだったのだけど、その前に約26秒ほど、アコースティック・ギターをバックにロビンが歌詞の一部を歌うイントロがあった事!クレジットに〈Full Length Version〉とあるので、今まで聴いていたのがシングル・ヴァージョンで、これが正規の長さのヴァージョンなのでしょう。これは、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」を聴き続けて来て、多少耳タコ気味の私には、けっこう新鮮でした。②この曲、クレジットを見たら、ジョージ・マーティンのプロデュースだった!という事。確かにアルバム『ALL SHOOK UP』時の録音で、そこから映画のサントラに提供されたらしいので、アルバム同様、ジョージ・マーティンのプロデュースなのでしょう。プロデューサーまでは知らなかったので、ちょっと感動がありましたね。いつ聴いても、やはり良いんですよね~、この「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ/Everything Works If You Let It」は!私の携帯音楽プレーヤーに入っている、今となっては段々と減らされて数少なくなったチープ・トリックの楽曲です。それほど好きだ!という証しでもあります。(笑) 今回は、チープ・トリック/CHEAP TRICKについて。私が子供の頃、邦楽から急にビートルズに目覚め、かつ洋楽を聴き始めた頃に、やたら人気があったバンドの1つが、このチープ・トリックでした。(他はクイーンやエアロスミス等でしたか)日本での人気は絶大でした。「ミュージック・ライフ」等の音楽雑誌にも毎回特集並みで扱いで登場していました。確かに、美形メンバー2人、ロビン・ザンダー(vo)とトム・ピーターソン(b)という2人の存在が大きかったのではないかと思います。残る2人、リック・ニールセン(g)はどこか奇人っぽいし、ベン・E・カルロス(ds)はいかにもおじさんっていう感じで、容姿の面においては見事なまでに好対照ですし。(おいおい)私が、チープ・トリックをリアルタイムで聴いたのは、日本からの逆輸入の形として『チープ・トリックat武道館』によって、やっと本国・米国でも人気に火がついた後に出たアルバム『ドリーム・ポリス』からです。このアルバムのタイトルナンバー「ドリーム・ポリス」は、本当によく聴いたものです。(前に記事に書きましたし)そして、このアルバムの収録曲も、せっせとエアチェックして集めた聴きました。「ヴォイシズ」なんか、子供心にめちゃ美しい曲だなぁ~と思ったものです。それから、昔の作品を遡って聴いて、このチープ・トリックの魅力に取り付かれたわけです。一時期は、レコード屋で貰った、畳一畳以上分ほどある彼らのポスターを、ビートルズのポスターと一緒に部屋に貼っていた記憶もありますしね。(笑)その後、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンや、奇才トッド・ラングレンが彼らのアルバムをプロデュースしたり、メンバーのトム・ピーターソンが脱退したり・・・と、話題は多かったものの、だんだんと人気は下降線を辿り、それと同時に、私自身も熱心には聴かなくなってしまいました。売れなくなってからの楽曲で、パッと思い出せる、記憶にあるのが「トゥナイト・イッツ・ユー」だから、辛うじて1985年頃までは聴いていたのではないかと思います。まあ、それも辛うじてという感じですけど・・・。そして・・・再びチープ・トリックの名前を聞いた、楽曲を耳にしたのが、映画『トップ・ガン』に使われた「マイティ・ウイング」!この曲がモロ好みのサウンドで、久しぶりに「うゎ、チープ・トリックやん、カッコいい!!」と思ったものです。そして、1988年には「永遠の愛の炎」の大ヒットで、まさかの表舞台への復活!!正直言うと、この曲は好きじゃないのですけど、チープ・トリックの復活は妙に嬉しかったですねぇ、ほんと!しかし・・・結局、それ以降はまたも大して売れず、再び聴く事が無くなってしまいました。(涙)でも、CD時代になり、過去の作品を集めて聴いて、やはりチープ・トリックはいいなぁ~!と、最近再認識しています。特に、ファースト~1980年代初めまでの作品は、今聴いても色褪せないというか、私好みのサウンドで素晴らしいと思います。そこには、やはり当時の思い出等も絡まっていますが、音楽的にも好きなサウンドですし、離れられないバンドなんだな、と思います。最後に、個人的に彼らの大好きな曲を5曲ほど挙げておきます。「ドリーム・ポリス」「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ(Everything Works If You Let It)」「今夜は帰さない」「ヴォイシス」「甘い罠」正直、「サレンダー」や「永遠のラヴ・ソング」なんかも捨て難いし、5曲じゃ足りなかったなぁ。(笑) 世間はゴールデンウィークですねぇ。何も予定が無いので、あちこち遊びに出かける人々が実に羨ましいです。(嫉ましい?)ブログネタ不足のため、私自身が好きな曲を挙げて記事を書くようになり続けていたら、これがけっこう面白くなって来てしまいました。ブログも更新出来るし、記事書いていて書きやすいし、楽しいし、正に一石二鳥です?う~ん・・・相変わらず、いい加減な男だなぁ。(苦笑)で、昨夜。ビールで酔っ払いながら、部屋で、自分で作った好きな洋楽曲のオムニバスCDを聴いていたら、チープ・トリックの「ドリーム・ポリス」が流れて来ました!これ好きなだなぁ、うんうん・・・とちょっとボリュームを上げてしまった私です。チープ・トリック・・・けっこう好きなバンドなのです。それも、デビュー~80年代前半までの、彼らの楽曲が好きです。基本、聴いたのは後追いが多いですが。

チープ・トリック - Wikipedia Cheap Trick(チープ・トリック)来日公演の記録|せいげん。|note

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チープ・トリック(Cheap Trick)は1974年にシカゴ郊外にあるロックフォード市で結成、1977年にデビューしたアメリカのロックバンド。 ライヴ・アルバム 『 チープ・トリックat武道館 』がヒット作となり、 日本武道館 の名を世界中に知らしめたバンドとして ... ←1979年に大ヒットしたアルバムのタイトルソングでもある「ドリーム・ポリス」・・・曲はロックンロール・ナンバーで(どちらかと言えばポップ・ロックに近いかな)、全体的にはシャキッとした雰囲気を醸し出している曲です。聴く度にカッコいいなー!!と、思わずグッと来てしまいます。何やかんや言っても、これはやはり一級品の曲だと思います!この曲のイントロが聴こえてきて、歌い出しのThe dream police they live inside of my head~♪というロビン・ザンダーの声を聴いたら、即、自然とノリノリ状態になってしまうという・・・本当に好きな曲となっています。たまりません。チープ・トリックの曲で、リアルタイムで聴いた&最初に好きになったのがこの曲でもあり、思い入れ充分なのです。恥ずかしながら、レコードを買った時に貰った彼らの大きなポスターを部屋に貼っていました。(苦笑)1990年代以降のアルバムは、さすがに洋楽の関心がUKロックに移り、バンド自身も低迷期に入り、もはやCDを購入してまでチープ・トリックを熱心に聴く事は無くなりました。しかし、今もなお聴けば盛り上がる好きな曲はたくさんあります。「ヴォイシス」や「甘い罠」「今夜は帰さない」「サレンダー」etc・・・初期の楽曲が多いですが、ほんと好きな曲多いです♪一世を風靡したものの、その割には、残念ながら世間の評価は思ったよりも低いですが、間違いなく良いですよ、チープ・トリック!今なお現役だし!やっぱり、素晴らしいバンドだと思います。私の青春の1ページを飾るバンド・・・それは間違いありません。

チープ・トリック【名曲ベストテン】My 10 favorite CHEAP TRICK songs ... チープトリックの「サレンダー」 カッコイイとはこういう曲です☆ | ギターとDTM Toy-Music-Blog

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現在でもチープ・トリックの代表曲として知られている。 まるでビートルズの公演ような黄色い歓声、大合唱にアメリカ人も驚いたに違いない。 それにしても「日本人の歓声」というのは、ホントすぐ聴いてわかる独特のものだ。 それこそビートルズから始まり、シカゴ、ツェッペリンなどなど、いろんなバンドがやってきた場所だし、逆に言えばチープ・トリックと武道館がしっかり結びついたのはあのタイトルのせいだと思いますよ。タイトルが、例えば『チープ・トリック・ライヴ・イン・ジャパン』だったら、ここまで武道館が音楽ホールとして語り継がれるようなことはなかったんじゃないですか。もし僕がタイトルに武道館を使わなかったから、ここの取材の席に呼ばれることもなかっただろうし(笑)──野中規雄 ── 日本武道館は1964年の東京オリンピック柔道競技場として開館し、その後も日本有数の武道館、競技場、多目的ホールとして利用されています。音楽ホールとしての日本武道館の歴史はビートルズの来日公演から始まるわけですが、『チープ・トリック at 武道館』の産みの親でもある野中さんはそのステージをご覧になっていますか。 野中 行けてないんです。人生で悔いが残っているライヴがふたつあって、それは1966年のビートルズの武道館と、1971年のグランド・ファンク・レイルロードの後楽園球場なんです。僕は1948年の群馬生まれで、ビートルズ来日は高3でした。武道館に行った友達もいるんですよ。でも、僕はチケットが手に入らなかったんです。というか、自分のなかで“どうしても行くぞ!”という気にならなくて。というのは“チケットが必要以上に手に入りにくいからいいや”と思っちゃったんですよね。必要以上に騒がれ過ぎたのが嫌だった、というのはあります(笑)。日本でデビューした頃から好きで、ずっと追いかけてレコードを買っていたんだけど、来日が1966年6月ですよね。その頃にはもうめちゃくちゃな人気で、僕としては“2年前には何も言ってなかったのに急になんだよ”という感じですよ(笑)。同じ1966年に初めて外タレのコンサートに行くんですが、有楽町のサンケイホールでフランス・ギャルを観ました。前橋から日帰りで、片道2時間半。しかも期末試験だか中間試験だかの最中だったんですけど……。それにしても、この連載のテーマである武道館を意識したのは、やっぱり間違いなくビートルズですよね。 野中規雄(2018年都内にて) ── では、実際に武道館でライヴを観たのはいつですか。 野中 生でコンサートを観て、本当の意味で音楽ホールとしての武道館を意識したのはシカゴですね。その前にはブラッド・スウェット&ティアーズも武道館で体験したし、シカゴの次に観たレッド・ツェッペリンもスゴかったけれど、シカゴはすごく印象に残っていますね。それが1971年6月です。この1971年というのは自分のロックの歴史のなかでは重要な年で、2月にBS&T、6月にシカゴ、8月に「箱根アフロディーテ」でピンク・フロイドを観て、9月にレッド・ツェッペリンを観てるんです。当時、僕は大学4年生で、就職の面接を受けたりしながら夜はコンサートに行くという時期だったから、そのタイミングでこのスゴイ並びのコンサートを見たら、そりゃ音楽関係の会社を受けようと思いますよね(笑)。もちろん、中学生の頃からずっと洋楽を聴いてきたということもあるけど、1971年にシカゴとツェッペリンの武道館を見たというのは決定的だったと思います。特にシカゴはアルバムを抱いて寝たくらい好きだったから(笑)。CBS・ソニーを受けたのも、当時はシカゴがいたからです。 シカゴ 『ライヴ・イン・ジャパン』 ── ちなみに、そのシカゴの武道館を当時のソニーは録音していますよね? 野中 いや、録ったのはその次の来日のとき、1972年じゃないかな。磯田(秀人)さんという、後にサンタナ『ロータスの伝説』を作ったディレクターが、シカゴの『ライヴ・イン・ジャパン』を武道館で録っているはずです。 ── 以前、ディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』について、担当ディレクターだった折田育造さんにお話を聞く機会があったんですが、「例えばソニーの磯田さんがシカゴを録ったと聞くと、“じゃあ、俺たちはフェイセズを録ろう”というふうに、ソニーとワーナーで競い合ってたんだよ」とおっしゃっていました。 野中 なるほど。じつは、ディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』があったから、野中というディレクターは“ライヴ・イン・武道館”を録りたいと思ったのですよ。理由は、洋楽ディレクターというのは音楽を作らないんです。選ぶだけなんです。音楽を作れるとすれば、日本語盤かライヴ・イン・ジャパンしかないんですよね。日本語盤というのは当時いっぱいあって、じつはシカゴも日本語盤を出しています。つまり、磯田さんという先輩がシカゴで日本語盤を録ったり、ライヴ・イン・ジャパンを録ったりしていて、新人ディレクター・野中としては“いいなぁ、ああいうの”と思うわけですよ。俺もいつか録りたいなと。そういう思いがベースにあって、それが最終的にチープ・トリックに繋がっていきました。 ディープ・パープル 『ライヴ・イン・ジャパン』 ── 初来日公演が決まった時点のチープ・トリックは、その前から担当されていたエアロスミスや、シカゴと比べると、人気や実績の面では一段下という状況でしたよね。 野中 洋楽誌『MUSIC LIFE』が広めた“3大ロック・バンド”というのがありますよね。クイーン、KISS、エアロスミスですけど、その盛り上がりが一段落したのが1977年だったんです。1月から2月にかけてエアロスミスが初来日して、3月から4月にかけてKISSが初来日して、そこで3大ロック・バンドがみんな来日公演を果たして、しかもビートルズがやった聖地・武道館でコンサートをやったわけです。それで、音楽業界全体が“次は誰だ!? ”という流れになっていきました。1976年の年末にベイ・シティ・ローラーズも来日して武道館をやりましたから、『MUSIC LIFE』をはじめ業界全体が次を探すという流れになって、当然たくさんの候補が上がってくるわけですが、そのなかのひとつがチープ・トリックでした。 チープ・トリック 『チープ・トリックⅠ+10』 ── 彼らは、その年の2月に1stアルバム『チープ・トリック』をリリースしたばかりですよね。 野中 そのアルバムはジャック・ダグラスのプロデュースで、“エアロスミスと同じじゃないか!これはいいかもしれない”と思って聴いてみたんだけど、僕はあまりピンときませんでした。いまで言うところのパワー・ポップなんだけど、当時のジャンル分けで考えるとハードロックでもなければイケイケのロックンロールでもない。中途半端に聴こえたんです。『MUSIC LIFE』もそのときは、モノクロの写真を1枚載せただけでした。ところが、東郷さんがKISSの取材に行ったら、前座がチープ・トリックで、彼らも取材してグラビアに載せたら、読者から反響がドカーンと来たんです。しかも、9月に出た2枚目のアルバム『蒼ざめたハイウェイ』の評判も良くて、いよいよガツンという感じだったんですけど、その度合いが尋常ではなくて、その年にデビューしたばかりのバンドとは思えないような、ものすごい反響だったんです。その時点で、『MUSIC LIFE』では「3大バンドの次はチープ・トリック」と決まっちゃいました。読者の反応によってね。 チープ・トリック 『蒼ざめたハイウェイ+7』 ── とすると、チープ・トリックの武道館公演の興行元だった音楽舎は、かなり確信を持って武道館を決めたんでしょうか。 野中 どうなんでしょうね。当時の状況として、まず「ロックと言えばウドー」という感じだったし、もちろんキョードー東京もいて、そのなかで音楽舎は新興勢力だったんです。そういう彼らが、3大ロック・バンドの次を担うチープ・トリックで勝負に出たという感じだったんじゃないでしょうか。ある日、当時の責任者の上野(博)さんから電話がかかってきて「武道館、どうですか?」と言うわけです。“何、言ってるんだ!? ”と思いましたよね(笑)。だって、デビューしてまだ数か月しか経ってないバンドですから。実際、「ビートルズがやった武道館でやりたい。いっぱい入れば儲かるし!」みたいな感じで武道館をやって、評判を落としたバンドも少なくありませんでした。僕としては、その二の舞になるんじゃないかという心配があったんです。でも、その電話がかかってきたときにはもうおそらく決まっていたんですよね。それで、発売したら即完ですよ。 ── 即完だったんですか! 野中 僕もそう思います。まだ大きな会場ではやったことがなかったとしても、各地のクラブで2時間くらいのライヴをずっとやってきてるんですよね。だから、レパートリーもあれば、演奏力もあったんですよ。アメリカでも売れたシングル・ヒットを持っているバンドでも、1時間くらいのステージしかできなくて、しかもシングル・ヒットを2回も3回もやるような来日公演がいっぱいあったなかで、チープ・トリックは「今日のセット・リストはどうする?」と考えて、曲を削ることがあるようなバンドだったんです。それに、ロビン・ザンダーはルックスの良さばかり取り沙汰されていましたが、彼の歌唱力というのはとんでもないですから。だから、武道館という場に耐えうるパフォーマンスをちゃんとやってくれたんです。それは成功の大きな要因ですね。もし演奏がダメだったら、スタジオで録り直していたかもしれない。日本での録音に限らず、ライヴ・アルバムではそういうことはいっぱい行われています。そのなかで、あの『at 武道館』は、音を重ねているところは若干あるにしても、基本的にはバンドの演奏がそのまま収録されているわけで、そのこともライヴ・アルバムとしてすごく重要だったと思います。 『チープ・トリック at 武道館 +3』ブックレットより ── 念願のライヴ・イン・ジャパンをレコーディングすることになって、録音体制については何か考えたことはありましたか。 野中 鈴木智雄さんというエンジニアがいて、まさに日本でも指折りのエンジニアですから、録音については智雄さんにすべてお任せしました。サンタナの『ロータスの伝説』も担当されていましたから、当時ライヴ・イン・ジャパンを録ることについては、おそらく日本一だったと思いますよ。 ── 智雄さんをはじめとするソニーの録音部の蓄積も大きかったと思います。それから考えると、もう数年レコーディングのタイミングが早く来ていたら、ああしたライヴ録音が実現していなかった可能性はありますか。 野中 『ロータスの伝説』をやった後だったら、なんでもできますよ(笑)。先輩がああいう、すごいことをやってくれてるおかげですよね。それに、チープ・トリックの『at武道館』の録音について言えば、あの女の子たちの歓声さえあれば、もう勝ちですよ。ディープ・パープル『ライヴ・イン・ジャパン』にも、サンタナ『ロータスの伝説』にもないのは、女の子の歓声です。だから、“アメリカでなぜ売れたのか? なぜ世界中で発売されたのか?”ということの理由を探れば、その最大の功労者はあの日武道館に詰めかけた女の子たちだし、彼女たちの歓声があのアルバムを成功に導いた、と僕は思っています。ああいう歓声が、アメリカには土壌としてなかったんです。それなのに、自分たちの国の人間が他の国に行って、こんなことになっている、と。これじゃ、まるで英国のビートルズじゃないか、ということですよ。 チープ・トリック 『チープ・トリック at 武道館-完全盤(CD+DVD)』 ── 当日、昼間にサウンドチェックをやったりしたと思いますが、その時点ではメンバーの武道館に対する反応で何か憶えていることはありますか。 野中 武道館のことで何か話した記憶はないですが、でも武道館に来た時点ではもういろんなバンドがやったすごい会場だということはわかっていたと思いますし、言うまでもなく彼らもまたビートルズ・フリークですから、そのビートルズが最初にやった場所だということは十分に意識してリハをやっていたと思いますよ。30周年のときに、また武道館でやったじゃないですか。そのときにメンバーと話したら「ここで30年前にやったんだよなあ。その前にはビートルズもやっただよなあ」という話をしてました。武道館の入り口の上から周りの風景を4人で眺めてる写真がありますが、あれはいい写真ですよね。リハの後、あそこに行って、周りを見渡しながら「30年前、ここでやったんだよなあ」って。 『チープ・トリック at 武道館-完全盤(CD+DVD)』ブックレットより ── 会場に思い入れがなかったら、あそこに行かないですよね。 野中 そう思います。しかも、1978年じゃなくて、その30年後の話ですから。 ── DVDのインタビューで、リック・ニールセンが「俺たちが武道館を有名にし、武道館が俺たちを有名にした」という名セリフを口にしています。 野中 個人的には、リックも70歳だし、チープ・トリックの解散コンサートを武道館でやってほしいというのが僕の最後の望みなんです。今年もし40周年でやってたら、“多分これが最後になるんじゃないか”と思ってたんですけど、幸か不幸かリックの体調のせいで今回は実現しなかったですよね。“だったら、来年でもいいな”と思ったら、来年は武道館が改修じゃないですか。となると、新装なった武道館のこけら落としがどうかわからないけど、そこで解散コンサート、ということになりますよね。それを、収録するとか、You Tubeか何かで全世界に配信するとか、そういう締め方をするのが武道館で育ったあのバンドのストーリーとしてはいいんじゃないかなという気がするんですよ。 ── そういうふうに、キャリア自体が武道館と共にあるバンドは、日本でもいないと思います。 野中 それができれば本当にいいな、と僕は思ってるんです。そのときには最初から全世界を意識してやって、最後は「これで、僕らのキャリアを終わりにします。Good-Bye Now! Ladies And Gentleman! 」と言って終わるんですよ(笑)。それは、ある意味では僕の思いつきというか、そういうことをただ妄想しているということなんですけど、でも言ってしまえば、すべては妄想から始まりますから。 ── DVDのインタビューに、途中で音が切れたのに驚いて、転んでアゴを切って血だらけのまま鈴木智雄さんのところに走ったという話が出てきますが、その話から察するに、野中さんも現場ではやはり相当テンションは高かったですか。 野中 PAの音が飛んだんですよ。“録音してるのに、これは大変だ!”と思って、慌てて智雄さんのところへ行って「大丈夫ですか」と聞いたら、智雄さんが「何も問題ないですよ。それより野中さん、血だらけですよ」と言われて、初めて気がついたんです(笑)。 ── (笑)。あの話で驚いたのは、それで病院に行って傷を縫ってもらったら、また武道館に戻ってきたという話です。そんな状態でも、“戻らないといけない”と思ったんですね。 野中 考えてみると、担当ディレクターとは言っても、何もしないんですよ。ライヴに何か力を尽くしているわけでもなく、録音に関しては「トム鈴木さん、お願いしますね」というわけですよ。ライヴ・レコーディングにおいてディレクターがやる仕事というと、お昼のご飯を手配するとか、そういうことくらいしかないんです。 ── ただ、『at 武道館』に関して言えば、当初はセット・リストに入っていなかった「甘い罠」が入ったのは野中さんの進言があったからですよね。 野中 そういうことにはなってますけど、それは誰でも言うでしょ。 ── 誰でも言うかどうかは別にして、「甘い罠」が入っているのとないのとでは大違いですよ。 野中 チープ・トリックが武道館をやることになったのは、『MUSIC LIFE』ですごい人気だったというだけではもちろんなくて、雑誌で言えば他にも『音楽専科』とかいろいろあったし、それと同じくらい重要だったのはラジオでガンガンかかったんですよね。しかも、九州から北海道まですべての局でチャートインするくらいヒットしたんです。そのきっかけになったのが「甘い罠」と「今夜は帰さない」の2曲で、アルバムのなかで邦題をつけたのはその2曲だけです。その2曲はシングルカットすると決めていたので。いまと違って、どの曲をシングルカットするか日本で勝手に決めることができていた時代ですから、僕としては「この曲をカットするぞ」「順番はこうだぞ」「邦題はこうだ」と決めていった2曲の片方が入らないというのはありえないですよね。ファンの人たちは絶対知っている曲だし。だから、バンドにも、「この2曲は絶対入れてくれ」ということは言いました。 [後編]に続く インタビュー・文/兼田達矢 ●野中規雄(のなか・のりお) 1948年、群馬県前橋生まれ。1972年にCBS・ソニー(当時)に入社し、洋楽宣伝、洋楽ディレクターとして、エアロスミスやクラッシュ、ジャニス・イアン、チープ・トリックなど数多くのアーティストを手がけた。その後、SD本部、国内制作本部長、ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役を経て2003年にソニー・ミュージックダイレクト代表取締役に就任。2008年に同社を定年退職し、同年に退職した岡田了とともに株式会社日本洋楽研究会を設立。制作に携わった洋楽カタログを後世に残すための活動を行っている。

Amazon チープ・トリック チープ・トリック ヘヴィーメタル ... 『チープ・トリックat武道館』40周年!日本の女の子たちが世界に先駆けて騒いだバンド

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チープトリックのファーストのリマスター盤が価格据え置きであったため、当時迷わず買い換えることにした。アウトテイクや未発表曲を加え、メンバーの意図する曲順に変更となり(lp盤では、side-aとside-1との記載で、b面なんてなかった。 ? 野中 正直、“なんじゃ、これは!”と思いました。人気があるのはわかっていたし、レコードは実際メチャクチャ売れていました。12月に武道館公演が発表になる時点で9月発売のアルバムは20万枚くらい売れていたんです。エアロスミスは10万枚です。つまり、チープ・トリックはエアロスミスの倍売れていたわけですけど、それにしても“武道館!? ”と思っていました。いまの感覚で言えば、その年にデビューしたバンドが本国で売れていないのに東京ドームをやるようなイメージですよ。それが即完したんだから、“ウソっ!”という感じです。それで、チープ・トリックのライヴ・イン・ジャパンを録ろうと決めました。アメリカにオファーを出したら、すぐにOK! が出たんです。ただ、「リリースは日本だけ」という話でした。いまから思えば、バンドとレコード会社の契約のメインの内容に関わるものではなくて特別な項目のひとつとしてOK! した、ということだったようです。 ── 結果から言えば、上野さんたち音楽舎の大胆な決断があったから、あの大ヒットが生まれたとも言えますね。 野中 そうですね。普通だったら、あの当時のチープ・トリックは中野サンプラザ2回くらいだったと思います。 ── ちなみに、バンドのマネージメントは、その時点で2ndアルバム『蒼ざめたハイウェイ』が20万枚売れていることは知っていたんですか。 野中 知っていました。なんで、そんなことになっているのかはわかっていなかったと思いますけど(笑)。当時、日本のレコード会社とアメリカのレコード会社は、地球と火星くらい遠かったんです。コミュニケーションの具合で言えば、です。だから、その先にいるマネージメントは“日本でなぜそんな現象が起きているんだ?”と思っていたでしょうし、ほとんど訳わからずの状態で日本に来たのは間違いないと思います。武道館についても、ビートルズがやったところということさえ知らずに来たんじゃないかな。だって、火星にあるホールの名前を言われてもわからないでしょ(笑)。彼らからすれば、何回ステージをやってギャランティがいくら?というのが大事で、会場がどこなのかなんて気にしていなかったと思いますね。 ── このときのチープ・トリックは各地をツアーしてまわり、武道館はそのファイナル公演でした。『at 武道館』は大阪でも録音していますよね? 野中 しています。大阪公演音源をけっこう使っています。 ── その上で、タイトルは『at 武道館』にしたわけですね。 野中 だって、シンボルですから。それこそビートルズから始まり、シカゴ、ツェッペリンなどなど、いろんなバンドがやってきた場所だし、逆に言えばチープ・トリックと武道館がしっかり結びついたのはあのタイトルのせいだと思いますよ。タイトルが、例えば『チープ・トリック・ライヴ・イン・ジャパン』だったら、ここまで武道館が音楽ホールとして語り継がれるようなことはなかったんじゃないですか。もし僕がタイトルに武道館を使わなかったから、ここの取材の席に呼ばれることもなかっただろうし(笑)。 野中規雄(2018年都内にて) ── 話に出たディープ・パープルは武道館と大阪厚生年金会館で録音していて、タイトルは『ライヴ・イン・ジャパン』です。 野中 そうですよね。他にも日本で録音したライブ・アルバムはたくさん出ているけど、どれも“ライヴ・イン・ジャパン”であって、会場の名前をタイトルにしたものは、少なくとも僕は知らないです。僕自身は、あのアルバムをファンの人たちのための記念品として作ってるんですよ。1978年4月にチープ・トリックが武道館でライヴをやったということの記念品です。それは、もちろん現場に来た人の思い出にもなるけど、来れなかった人の思い出になるなと思って。武道館というものを知っている人たちのためのタイトルなんですよね。 チープ・トリック 『チープ・トリック at 武道館 +3』 ── さきほど野中さんも言われたように、いくら事前の人気が高くても、実際のライヴ・パフォーマンスが良くなかったら、人気が落ちるきっかけになったかもしれません。『at 武道館』のパフォーマンスを収めた『at 武道館-完全盤(CD&DVD)』のライヴDVDに付いているメンバー・インタビューで、ロビン・ザンダーが「僕たちはそれまで人気のないライヴ・バンドだった」と語っていますが、その発言は“まだ人気はなかったけれど、でもライヴの地力を持ったバンドだった”という自負の表れでもあるように、僕は感じました。

チープ・トリックのおすすめ「この1曲」 JOY SPRINGS チープ・トリック/Cheap Trick - The Flame - 1988年

チープトリック 曲

チープ・トリックは1973年、アメリカ・イリノイ州ロックフォードで結成されたロックバンド。 1973年にフューズのメンバーだったリック・ニールセンとトム・ピーターソンはバン・e・カルロス、ランディ・ホーガンと共にチープ・トリックを結成。 平成30年(2018)10月11日(木)に東京のZepp TokyoでCheap Trick(チープ・トリック)の来日公演が行われました。この記事は自分の記憶がまだ確かなうちに記録しておこうと思った私の備忘録です。Cheap Trickに興味・関心がある方はお付き合いください。●今年は『チープ・トリックat武道館』の発売から40年の節目の年本来は今年の4月25日(水)に、1978年にリリースされた彼らのライブアルバム『チープ・トリックat武道館』の発売40周年を記念して40年前と同じ会場の武道館で行われる予定でしたが、ギタリストのリック・ニールセンの体調不良により同公演が延期となり、会場も武道館からZepp Tokyoへ変更されました。詳細はこのブログに書いてあります。チープ・トリック、振替公演が10/11に行われることが決定。 Zepp Tokyoにて開催●行くことをためらった二つの要因私は当初、彼らのライブに行くつもりはありませんでした。行かなくてもいいかな、と思う要因が二つあったからです。①会場が変更されてしまったこと『チープ・トリックat武道館』の40周年記念は武道館で行ってほしかったので、会場が変更になったというのは様々な事情があるとはいえ残念でした。武道館でやらないのなら行かなくてもいいかな、と思ってしまいました。②メンバーが変更してしまったことバンドを長年支えてきたドラムのバン・E・カルロス(Bun E. Carlos)がいないというのはやはり寂しかったです。ステージ後方を陣取ったくわえタバコのオッサンが、黙々と時には激しくドラムを叩く姿が印象的でした。現在のドラムはリック・ニールセンのご子息、ダックス・ニールセンが務めています。一番左の彼がダックス・ニールセン。アゴの辺りはお父さんに似ているかなという印象です。ドラムの事情についてはややこしいのでWikipediaをご覧ください。チープ・トリック(Wikipedia)●やはり大好き Cheap Trick ! それでもけっきょくライブへ行こうと思ったのは、やはり大好きなバンドのライブには行きたい!という単純な理由でした。自分の日程も調整して10月11日は休めるようにしたのでチケットを購入しました。ライブ当日の私は朝から相当浮かれていました。それは私のツイッターを見ればわかります。 ●会場到着、痛恨のミス 会場のお台場に到着。ガンダムがお出迎え。私のテンションはさらに高まります。しかし私はこのあと痛恨のミスをしました。この場所にはZepp Tokyo(赤丸のほう)の他に、Zepp Diver City(黒丸のほう)という会場もあって私はZepp Diver Cityのほうに行ってしまいました。Diver Cityのほうも何かのイベントが行われていて行列ができていたので、私はその並んで待機していました。しばらく列に並んでいるとバイトの兄さんが拡声器で「ここはZepp Tokyoではありませんっ!」とアナウンスしたので私は驚きました。兄さんにZepp Tokyoの場所を教えてもらい、列から離れて急いでZepp Tokyoへ向かいました。急いで歩いたのでZepp Tokyoに到着したときにはひどい靴擦れになってしまい足が痛くて大変でした(泣)。●本当の会場へ到着。混乱しながらも何とか入場会場に到着すると会場へ入場したい人たちの列と、Tシャツなどのグッズを購入したい人たちの列があってそれも私を混乱させました。

チープ・トリック(Cheap... チープ・トリックの原点回帰と起死回生を印象付け、新たなスタートになった中期の重要作『永遠の愛の炎』 | OKMusic

チープトリック 曲

チープ・トリック(Cheap Trick)の名曲名盤10選【代表曲・隠れた名曲】 今回はチープ・トリックを取り上げます。 この人たちは1970年代にパワーポップのバンドとして人気を博しました。 人の流れをしばらく眺めながらどの列が入場または物販なのかを観察して、私は入場前に物販でグッズを購入することにしました。ここでTシャツと帽子を手に入れ、ようやく会場に入場しました。私はチケット購入が遅かったので入場整理番号も後のほうでした。そのため会場の再後列で見ることになりました。私の位置からはステージはこういうふうに見えました。●Hello There ! 開演は午後19:00、ほぼ定刻通りにスタート。「Hello There」のイントロが流れると会場はすぐにヒートアップしました! 1, Hello There 2, Come on Come on 3, Look Out 4, Big Eyes 5, Ain't That a Shame 6, On Top of the World 7, If You Want My Love 8, You got it going on 9, Voices 10, Never Had a Lot to Lose 11, Elo Kiddies 12, Oh, Candy 13, Gimme Some Truth 14, Baby Loves To Rock 15, The Summer Looks Good On You 16, I Know What I Want 17, I'm Waiting For The Man 18, The Flame 19, I Want You to Want Me 20, Dream Police当日のセットリスト。Hello ThereからBig Eyesまでは『チープ・トリックat武道館』と同じ曲順でした。私の知らない曲もありましたが、この曲は演奏してほしいなという曲はほとんどやってくれたので大満足な内容です。